周遊きっぷ紀行〜前編(宮崎ゾーン)

最終更新日:2001/02/01 
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宮崎ゾーンの周遊きっぷ  最近はいろいろ身の回りが忙しく、HPの更新もままならない状況が続いている。そんな中で、「旅」はいわば現実逃避の手段なのだが、今回はその「手段」がいきなり「現実」に「侵食」されることとなる。
 宮崎行きを決めたのは、全日空が「超割」を提示した11月であった。日本全国1万円でいけるメリットは大きく、周遊きっぷのうち、これを活用しない手はない・・・と考えたのが今回の宮崎行きの始まりである。
 で、ある程度資料をあつめ、そして宿の選定をはじめたころ・・・ なぜか仕事が猛烈に忙しくなった。とてもじゃないが、宮崎行きを考えるゆとりは全くない。・・・・時間だけが過ぎてゆき、気が付けば出発日になってしまった。まだ宿も決めていない・・・(泣)
 かといっても仕事が減る気配は全く見えず、一応27日の晩出発なのだが出発準備もろくにせずに家を飛び出すことになる。とりあえず、お金と着替えと時刻表とデジカメを抱えて家を飛び出した。・・・・デジカメのバッテリー充電するの忘れた・・・(泣)

 こんな無計画な旅の始まりは久しぶりである。
やっぱり新幹線
 京都から「のぞみ27号」で小倉へ。「のぞみ」なんて贅沢なと言われそうだが、一分一秒を惜しんでいる場合ではない。そりゃあ40分前の「ひかりRailStar」に乗りたかったけど、そんな時間があれば仕事に回るのでまさに「選択の余地なし」である。社会人とはえてしてこういうことが起こりがちなのである。(学生の方は覚えておいたほうがいいかも)
 寝台特急「彗星」で宮崎入りすることも考えた。が、宮崎着は10時で、新幹線+ドリームにちりんよりも高いとあっては正直使う気にはなれない。しかも、「のぞみ27号」よりも50分早く京都駅を出るにもかかわらず・・・である。じゃあ「彗星」の利用価値って・・・・ 確かに楽なので、「ゆとり料金」と見るべきか?でもカイコ棚ではなあ・・・

 「のぞみ27号」は12分遅れで京都駅に入線した。どうやら東京で大雪らしい。大雪といっても数センチなんだろうけど、それでも都市機能がマヒするんだから毎度の事ながら首都圏はかなり雪に弱いのだろう。
 私のいた出入口からは私と60歳前後の老夫婦が乗車。ところが老夫婦は新大阪で降りてしまった。おりょ。なんで「のぞみ」使ったんでしょうかねえ?「フルムーン」では「のぞみ」は使えないわけだから、お金に糸目をつけない大金持ちか、それとも単なる不正乗車か?
 普通ならば新大阪以東は乗客が減ってきて、広島以西はガラガラになるはずなんだけど、今回は結構乗っている。?と思って耳をそばだてると、どうやら羽田空港が閉鎖されていてやむなく新幹線に切り替えたらしい。あれま、そんなにひどかったのか、東京の雪は。

 新幹線は快適に進む。「あひる」だの「かものはし」だのいろいろ言われる「700系のぞみ」だが、車内設備に関しては明らかに今までのの新幹線よりも上に行く。ゆれないし、500系よりも室内は広い。さすがに「RailStar」と比べるとかわいそうだけど、それは「RailStar」がよすぎたということにしておこう。
 広島では最終の小郡行き「こだま」に接続。見ると0系の丸いお面に2×2のシートが並んでいる。そう、元「ウエストひかり」だった車両だ。「RailStar」にとって変わられたあとはそうなったのかなあ〜と気にはしていたが、こだまで活躍しているようだ。ちなみにビュッフェも連結。もっとも営業は当然してないけど。

 広島を10分遅れで出発してしばらくすると車内放送が流れた。
「小倉で特急ドリームにちりん、博多で特急ドリームつばめに接続は図ります。ご安心ください。」
 どうやら「のぞみ27号」から九州の夜行列車へ乗り継ぐ乗客は結構多いようだ。普段はガラ空きと思われる「のぞみ27号」は7割ぐらいの乗車率のまま、小倉に着いた。

飫肥城門
お城は敵の侵入を防ぐためにこのように入り組んだつくりになっています・・・ この先はなんと小学校!!
飫肥天
土産屋に乗せられた気もするが一応名物。ただかなり甘い。
志布志駅
広い構内にポツンと1両の気動車が・・・ 昔のジャンクションもいまいずこ
鉄道記念館
鉄道記念館の外には当時志布志線で使われていた踏切等が点字されている。
記念館内部
当時の備品が点字されている。なお、展示室は普段カギがかかっていて入れない。
鉄道跡
このように廃線跡はどこでもこうやってサイクリングロードに化けたりする。利用者は少ない。これ「定説」
西都城
西都城の駅名標。消された駅名に哀愁を感じる人もいるのではないだろうか?
国鉄色の気動車
国鉄色の気動車を発見。これは21世紀を記念して・・・のことらしい。
   小倉では案の定ダッシュしている人が大半。もっとも私の場合は指定をもっているので座席にありつけないことはない。のんびりいこう。もっとも最終であることもあって、10分遅れの「のぞみ」から降りた乗客はみんなパニック状態?で在来線のホームに向かう。新幹線と在来線との間には連絡改札があるが、駅員は「早く乗ってくださ〜い」と言うだけで、改札も行わずに通していた。
 小倉駅在来線ホームでは「ドリームにちりん」が停車中。5両編成のうち3両が自由席なのだが、その自由席はもはや立つ場所すらなかった。通勤電車なみの混雑である。あふれた乗客が指定席にやってくる。指定席デッキもいっぱいであった。う〜ん、ちょっと考え物だなあ(^^ゞ
 私の席は2号車8番A席。ピンとこないかもしれないが、後ろが壁となる席である。壁席はあまり空きなのではないのだが、まあ文句を言っても仕方がない・・・と席に向かうと・・・・先客が・・・いた。いや、座席に先客がいたわけではない。座席と壁のすきまに2人入り込んでいたのだ。正直びっくりした。文句の一言でも言って追い出してもかまわないのだが、そこまで心を鬼にはできないので、仕方がないので座る。リクライニングはできない。だってリクライニングしちゃうと壁に張り付いている人もぶつかってしまうからなあ・・・まあとなりがかわいい女の子だったということでガマンすることにしよう(?)
 ・・・とまあ大混雑の「ドリームにちりん」は小倉をやや遅れがちに発車。もちろん満席状態なので、かなり窮屈である。さっきの「のぞみ」が天国に思えてきた。ゆとりのあるシートピッチ。かなり深くリクライニングできるシート・・・広々とした車内・・・ 「ドリームにちりん」はそういう意味ではまさに正反対である。ドリームにちりんに使用されている783系ハイパーサルーンは決して悪い車両とは思わないんだけど、新幹線(700系)と比べると明らかに見劣りするのは当然なのだろう。
 文句をいっても仕方がないので寝ることにする。が、こんな大混雑の中では寝るのも結構大変である。となりは若い女性なので、そちらによりかかることは絶対できない(やるとチカン扱いされそう・・・) なので必然的に窓に寄りかかることとなる。結構しんどい。仕方がないのでタオルを取り出し、頭に巻きつけて寝ることとした。そしてビールを飲み、とりあえず寝ることに成功(?)したのであった。

 気が付いてみると、隣に人の気配はない。・・・というか車内全体がガランとしてるな・・・ と思いきや大分であった。「ドリームにちりん」はここで1時間以上停車する。大半の乗客は大分までで下車をしてしまい、車内には10数人ほど。一気に減るものである。そこで私は前の座席を回転し、4人ボックスを占拠することにした。これでようやく楽な姿勢で眠れる・・・・と思いきや、一気に記憶が飛んでしまった。

寒い・・・

 ふと目が覚めると妙に寒い。夜行列車にありがちなケースで、最初は暑いけど少しずつ冷えていってしまうというのはよくある話だ。ジャンパーを着て丸くなって寝る・・・ と思いきや延岡到着のアナウンスが。宮崎空港行き「ドリームにちりん」は朝は延岡から放送が始まるのであった。空港客を見越しているのだろうけど、朝5時からアナウンスされるのもちょっと・・・・

結局ガラガラのまま南宮崎に着いた。
スピード攻略
 南宮崎からは日南線に乗る。日南線は2両編成。乗客は少ない。どうしようか・・・と時刻表をぱらぱらめくる。まだ決めてなかったんかい!!
少なくとも午前中には宿ぐらいは決めておかないとまずいだろう。

 一応時刻表を見て、飫肥市内めぐり、国鉄志布志線廃線跡めぐり、と回って吉松に泊まろう。明日は明日の風が吹く(?)

 ホントにいいかげんである。

 さて、飫肥駅についた。無人駅と思いきや、有人駅でキヨスクもある。駅備え付けの飫肥城めぐりは徒歩ではしんどそうだ。ならばレンタサイクルだよなあと見回すと、キヨスクで扱っているらしい。営業時間は8時40分から。只今の時刻は8時20分頃・・・ しばらく待つ。
 8時40分になっても来ない。南国とはいえ、寒さに震えながら待っていると9時前にやってきた。速攻自転車を借りて飛び出す。

 さて、自転車で5分ほどのところに飫肥城がある。・・・あったといったほうがいいかな?正確には飫肥城跡であり、武家屋敷や庭園などが残っているの過ぎない。ちょっと驚いたのがお城門をくぐって登っていくとそこに学校があったこと。はて、どこかで見たようなシチュエーションだなあ?と勘ぐってみると思い出した。マンガで楠桂の「古祭」(少年ビッグコミックス)の舞台になんとなく似ていたのである。・・・いや別にホラーっぽいというわけではないんだけどさ。

 隣接して武家屋敷?である「松尾の丸」がある。ここでは江戸時代の屋敷だそうで、全国に残っている武家屋敷と感じは同じ。ただし、2ヶ月前に金沢で同種のものを見たが、こっちは南国ゆえかかなり明るい雰囲気がする。ただ、窓の大半がアルミサッシになっていたのは少々興ざめした。まあ保存の一環と考えれば文句もいえまい。  歴史資料館もあった。飫肥城の歴史なんかも出ている。鎧兜はお約束。笑ったのはそういった展示品すべてに英訳がついていたこと。内掛け=long outer dressといった具合である。ひととおり見たあとに、お土産屋へ。飫肥天というのがあるらしい。どうやらお土産屋がつけたネーミングらしいけど要は「天」である。ごぼう天や平天の「天」である。ただ、甘味があってかなり見た目と食べたときのギャップが大きい。これには好き嫌いがはっきり出そうだ。
その後、隣接の小村記念館へ。小村寿太郎の故郷でもあるらしい。小村寿太郎は日露戦争のボーツマス条約の日本側全権としか知識がないが、ここでかなりの人物であったことが推察できた。ただ、かなり小柄な人物らしい。燕尾服が展示されているが、なんか子供服のようにも見えたのは私だけだろうか?

 気が付いたらもう10時を回っている。次の列車は10:20ごろだから、そろそろ戻らないとまずい。のんびりと観光する時間がないことを呪いつつ駅に戻る。列車を基準に考えたとき、地方の場合は列車のダイヤに合わせて動かざるをえないところがつらいところ。日数的にゆとりがあれば列車をおとしたりするのだけど、1泊2日ではそうも言ってられない。こうして、スピード飫肥めぐりは終わったのであった。
廃止線をたどりながら
 今度乗った日南線の列車は1両のワンマンカー。そこそこの乗りではあったが空席も十分あってのんびりと移動・・・ は、まだ今日の宿決めてない!!

 終点志布志で今日の宿の検討。やっぱ温泉がいいかなあ〜と吉松、えびのあたりに照準をつける。で、交通の便がいい吉松に決め、とりあえずは吉松町役場にTEL・・・・今日は日曜、大丈夫かな?
 役場の人から森のやかた湯ったり館を紹介してもらう。次に湯ったり館へTEL。列車で来ることを告げると、「えっ!」と一瞬驚き、「クルマでお迎えに上がります」とのこと。そんなに遠いのかなあ?役場の人は「徒歩10分ぐらい」と言ってたんだけど。ま、いいかと列車の時刻を告げ、迎えに来てもらうことにした。やれやれこれで今晩の宿確保できたぞ。

 日南線終点の志布志駅の構内はかなり広い。これは旧国鉄の志布志線、大隈線と交わる交通のジャンクションとして機能していたからだ。両線が廃線となったあとは行き止まり駅になってしまい、ただっ広い構内だけがあとに残された光景にはなんだかわびしさがつのってくる。志布志駅には旅のノートがあり、きれいに整理されていた。私も一筆書く。
 さて、今度乗る鹿児島交通の都城行きは志布志線の「代行バス」とも言える。駅前にバス停はなく、少々歩かないと行けない。昨夏に志布志駅を利用しているので覚えているはずなのだが、あり、どこだったっけ?
 しばらくうろうろ歩くが見当たらず仕方がないので地元の人に聞いてみた。その人もよくわからなかったらしく、申し訳なさそうに教えてくれた。教えられたとおりにあるくと・・・バス停発見!! ただし、都城行きは教えられたバス停とは反対側だったのがご愛嬌。ちょっとほっとするとバスがやってきた。

 数人の乗客を乗せたバスは都城に向かって走り出した。車内はいたってのどか。バスの運ちゃんの趣味なのか、NHKのど自慢を流していた。自分以外はおじいさん、おばあさんばかりだったからちょうどよかったのだろう。もっとも会話がないところを見ると、みんな熱心にラジオを聞いているのだろう。
 半年前にも通った道だが記憶は半分ほどしかない。ほんとにあやふやなものだ。それでも廃線跡の道を見るとたしかにここを半年前に通ったことを思い出す。半年前の「九州駅弁道楽」の旅では末吉駅に鉄道記念館があって「しまった」と思ったのだが、今回はその末吉で降りてみることにした。

 さて降りると目の前に、営業しているのかわからない旅館がある。・・・つうか廃屋のようにも見える。当然人の姿はない。かつて鉄道の駅だったころは少ないながらも人が集まってきたのだろうか?
 末吉駅鉄道記念館は、真新しい建物だった。どっちかというと休憩所や、集会所の用途で使われているようで普段は無人。記念コーナーは普段はカギで施錠されていて入ることができない。が、パネル等で国鉄志布志線の歴史が伝わってくる。駅の備品だったと思われる時計が廃止後10年以上たった今でも正確に時を刻みつづけている姿が印象的であった。
 外には踏切やレール、駅名標が展示されている。つまりここに鉄道があった証なのだが、整備されていて当時の雰囲気はいまいち伝わりにくい。まあ、いつまでも廃線跡をほったらかしにするわけにもいかないよなあ〜と思っていたら・・・なんとホーム跡が残っていた。 断言はできないけど、かすかに「都城方面」の文字が読み取れるので勝手に「そうだろう」と思ったんだけどね。

 ホーム跡らしき前は道路になっているが、サイクリング道ではなく一般道になっている。近くに立て看板があり、廃線跡はサイクリングコースというよりはウォーキングコースになっているとのこと。地図があり、時間があったのでたどって見ることにした。

 車道を歩くとこと10分。車道の終点となり、あとは歩行者自転車専用道となる。全国の廃線跡でよく見られるパターンである。・・・が、専用道に入るやいなや景色は人家の全くないところに出てしまった。てくてくとあるくが、田んぼと木々があるだけで民家は全くなし。おそらく鉄道があったときも同じ感じだったのだろう・・・と勝手に思う。なんとなく時間がとまった感じを受けた。
 しばらく歩くがちょっと足が棒になってきた。つくづく何かあるとすぐ徒歩に頼るのは私の悪い癖である。だから帰ってくるとひざががくがくと笑ってしまうのだ。ベンチはところどころにあるのだけど、お店はおろか自販機ひとつない。まあ元線路なだけに沿線に民家があるとはおもっちゃいないけど。ある程度進んだところでひきかえす。

 末吉駅前バス停で息を整え、都城行きバスに乗る。時刻表には出てないが、末吉〜都城間はほぼ1時間ごとにバスの便があり結構便利であったりする。ただ乗客は私を含めて二人。地方のバスの厳しさを垣間見た気がした。
 西都城で下車。鶏めしと食材を購入してそそくさと駅へ行く。ほどなく特急「きりしま」がやってきた。グリーンの車体がやけに厚化粧に見える。ふと駅名標を見ると、そこには確かに志布志線の痕跡が廃止後10年以上たった今でも残っていた。

九州南部のノスタルジア

 「きりしま」は外部は派手目のグリーンの帯をしている。ところが内部は座席こそJR九州御得意の黒を基調にしたリクライニングシートに取り替えられているが、その他の内装はかなりみすぼらしい。というか国鉄時代のイメージが残る。特にステンレス製仕切りドアは強烈であった。私の場合、「雷鳥」なんかに乗る機会が多いが交換されているので一層強烈に思える。

 九州南部は結構山間を走る。というか相当厳しい。それなりに楽しめる区間ともいえよう。西都城で購入した駅弁とビールを片手に列車の旅。まさしく王道である。3両編成ながら車販もあり、食事情も悪くはない。もっとも売れているかどうかは正直未知数なのだが。
 しばし「周遊きっぷ」の特権?ともいえる「気楽な特急の旅」をしばし楽しみ、隼人駅で下車した。

 次は宿の目的地、吉松である。待っていたのはなんと国鉄色のキハ58型。はて、JR九州には国鉄色なんかあったかな?と思ったが、後で調べるとなんでもJR九州は何かの記念?に旧国鉄色に塗り替えているとのこと。そういえばなんか塗装がピカピカだったなあ〜と感じたんだけどね。
 さて肥薩線を行く。肥薩線といえば人吉〜吉松間がどうもクローズアップされがちであるが、南部の吉松以南も結構険しい。非力なキハ58+28の2両編成は最初こそ軽快に進むものの、だんだん山がちになり栗野付近はほんとにあえぐように進むようになる。しばらく登っていくと・・・吉松に着いた。肥薩線南部を昼に通ったのは初めてであるが、こんなに山がちだったとは夢にも思わなかった。

 吉松では宿の人が迎えに出ていた・・・ さて今日はゆっくりと寝るか。・・・というわけにもいかなかったのだが。

(後編へ続く)




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